カズオイシグロのノーベル文学賞受賞で思ったこと。

私の大好きな作家であるカズオイシグロがノーベル文学賞を受賞した。初めて彼の作品に接して(日の名残り)からというものずっと彼のファンなのですごく嬉しい。

 

おめでとうございます。

 

職場にも彼のファンは沢山いて、受賞のニュースを聞いて、カズオイシグロの話でしばらく盛り上がっていた。

 

帰宅してから、受賞関連の記事を色々と斜め読みしていて気づいたことがある。

 

日本のメディアは、あの手この手で、カズオイシグロと日本の関連性を強調したがっていた。一部のメディアでは彼を日本人だと紹介していた。間違いだ。

 

カズオイシグロは英国人だ。日本人の両親のもと日本で日本人として生まれたけれど、今は英国人だ。二重国籍でさえ無い。

 

彼は英語で小説を書いているし、彼の英語は完全なイギリス英語だ。

 

日本風の名前を持っていて、日本人風の容貌だからと、日本人だと決めつけるのは、もしかしたら日本が単一民族国家だからかもしれない。肌や目の色が違う人を見た瞬間に、外国人だと決めつけるのも同じ理由だろう。

 

イギリスには、ヒンズー語の名前、アラビア語の名前、中国語の名前、ヘブライ語の名前、色々な言語の名前がある。肌の色、目の色、体格も色々。でも、イギリス人だ。

 

イギリスに住むようになって気づいたことがある。初対面で、「どこの国の出身か」を聞かれることが全く無いのだ。ひととおり自己紹介を終えて、世間話をしてしばらく経ってから、(おそらくだが)私の英語のアクセントに気づいて、どこから来たのか聞かれる。

日本だったらどうだろうか、「日本人ぽくない顔」を見た瞬間に、「何ジンか」と質問される。

 

相手が日本人ではないと確認した瞬間から、まるで、その人との関係性が定義づけされてしまうようだ。

 

国籍をネタに話が盛り上がることもよくあるので一概に否定することはしないが、人との付き合いは、国籍という「ラベル」とは関係ないところ、個人対個人のレベルでするから、面白くなるのだと思う。

 

その人が何が好きで、何が得意で、どんな考えを持っているか、ということを「ラベル」を貼らずに掘り下げて言ったほうが楽しいと思うのだ。