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異国の地で日本語を読む

平野啓一郎氏の「マチネの終わりに」を一気に読んだ。

読んでいる間、小説にこめられたメッセージを読み逃したくなくて、同じ部分を何度か読み返したり、途中で読み戻ったりした。楽しい時だった。

 

「マチネの終わりに」は随所で話題になっているし、読書感想文をここで書くつもりはない。大体、読み終わってからまだ一時間ぐらいしか経っていない。感じたことを簡単にまとめられない。こうしてブログを書いている今でも、いろいろな思いが頭の中を縦横無尽に、ぶつかりながら走り回っている。

 

私が書きとめておきたいのは、今まで漠然と感じていて、今回、確信に変わった

こと。どれだけ、外国生活が長くなろうとも、日本語に触れる機会が少なくなろうとも、私は日本人の両親のもと日本で生まれた日本語を母語とする日本人で、日本語で読むのが一番楽しい、ということだ。

 

イギリスでは、普通に書店で日本語書籍が入手できるわけでもないし、アマゾンで注文すると送料がすごい。日本語の書籍は、日本米と並んで貴重な存在だ。たまに日本に出張したときに大量にまとめ買いするけれど、慢性的に枯渇している。そこで、私が自分で決めたのは、日本語と外国語の本を交互に読むことだ。そうすればある日突然、日本語が底を尽きるということがなく、次の出張まで飢えを凌ぐことができる。

 

「マチネの終わりに」の直前に読んでいたのは、カズオイシグロ氏の最新作だった。個人的には今年読んだ本の中でベスト5に入ると思う。素晴らしい作品だった。いろいろ考えさせられた。でも、英語だった。つっかえたり、辞書をひかなくてはいけない箇所もあった。後半にさしかかってからは、あと100ページで終わる、あと30ページで終わる、みたいに、読み終えることを、もっと正確にいうと、終わって、日本語の本に移れることを心待ちにしていた。終わった時は、本の中身に対しての感動を、「やっと終わった」という達成感と「あーこれで日本語の本に移れる」という安堵感が包み込んだ。

 

まるで、苦手な数学の問題集がやっと終わって、好きな世界史の問題集に移れる、みたいな感じ。

 

私にとっての英語はいつまでも、「なんとかしなくてはいけないもの」で「上達を確認しなくてはならないもの」なんだと思った。

 

あと、何年イギリスに住むのかわからないし、このまま行くと永住してしまうかもしれない、でも、英語の本を読み終えた時の達成感と安堵感が消えることは無いだろう。

 

これは、英語に初めて触れたのが「科目」のひとつとしてだったからなのかもしれないし、どうせ一生かかっても英語を完全にモノにすることはできない、という事実によるものなのかもしれない。

 

そうして、次の次に読む日本語の本のことをたのしみにしながら、英語の小説にとりかかる。(650ページもあるじゃないか、、、)

 

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これ⇧が終わって、これ⇩

 

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