さっそく

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ついに。『小沢征爾さんと音楽について話をする』(新潮社)の英訳が出ました。

発売日に購入。いきなり£4オフ、なんと。

 

オフィスの近くのチェーン系書店Waterstonesにて。もちろん平積み、しかもお昼休みにいったら既にかなり減っていました。お店の人が「朝からよく売れてる」と。週末のThe Guardianの書評欄で見開き2ページで紹介されていたしなあ。

 

既にオリジナルの日本語版は何年か前に読んでいます。イギリスにも持ってきました。マーラーを敬愛している私は、マーラーの部分を特に興味深く読みました。

 

最近は、英訳された日本語を読むとき、オリジナルの日本語も必ず読みます。解釈の仕方、訳し方がとても面白くて勉強になります。月並みな言い方ですが、翻訳者の担っている責任を強く感じる時間です。

 

 

 

 

コンサートまであと一週間

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コンサートまであと一週間になってしまった。

 

なのに、ソロパートにまだ自信が持てない。

未だに、高音を外すことがある。今日のリハーサルでも外した。

私の場合、リハーサルで外すなら、本番でも必ず外す。

 

音楽以外は、本番で思った以上の結果を残せることがあるのだけれど、

音楽では、ない。大体、予想どおりのパフォーマンス。

 

しかも、今週後半は出張が入っており、本番まで練習できる時間が限られている。

どうしても自信が持てなかったら、ソロパートのみプリンシパルのトムに吹いてもらうことにする。情けないけれど仕方ない。

 

本当は自分で全部吹きたいけれど、そんなことは言える立場ではない。

プロでもないのに。でも、お客さんはお金を払って来てくれる。それに、皆、とにかく真剣だから。(ちなみにチケットの売り上げは寄付に回ります。)

 

BBCによると、イギリス国内には11,200ものアマチュアオーケストラが登録されているらしい。一番古いアマチュアオーケストラは150年の歴史があるそうだ。プロ並みにレベルの高いところもあれば、ほぼ全員初心者というところもある。

 

私が所属しているオーケストラはABRSMレベル8が必須条件、あとは簡単なオーディションがあった。メンバーは、現役の音大生が数人、音楽の先生が数人、あとは、日中まったく音楽とは関係のない仕事をしている人ばかり。リハーサルに参加するたびに、みんな上手だなあ、と素直に感動する。作品についての知識もすごい。

 

月並みな言い方だけれど、クラシック音楽に対しての敷居が低いのだろう。

 

個人的には、オーケストラの活動に救われている。仕事や家族のことで忙しく、思ったように練習できないけれど、オーケストラが無かったら毎日の生活がまったく違ったものになっただろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘の帰宅

九月から寄宿学校に通い始めた娘が、ハーフターム(学期途中の休み)で帰ってきた。

休みは丸々二週間。

 

娘にとって正しい選択だったと信じつつも、そして、ほぼ毎週末帰宅するし、と自己暗示をかけつつも、娘が急にいなくなった生活は本当に寂しかった。

 

朝の準備時間が急に短縮されたり、

友人と仕事の帰りに飲みに行ったり、

コンサートに行ったり、

 

といったような、本来喜ぶべきことでさえ、いちいち、娘の不在を実感せざるを得ないことばかりで、そのために感傷的になっていた。(泣いたし。)

 

で、待ちに待って娘が帰ってきたわけだが、六週間で劇的に成長するわけでもなく、私の方も、あれだけ心待ちにしていた割には、手抜き料理だし、あいかわらずガミガミ言うし、寄宿学校が始まる前の生活とほとんど変わらない。

 

しかも、引越しが控えているので我が家は緊縮財政。コンサートも近いのでリハーサルも休めず、夫の実家に帰る以外は遠出するわけでもなく。

 

まあ、そんなものだろう。寄宿学校から帰ってくるたびにイベント企画していられない。

 

 

 

 

 

異国の地で日本語を読む

平野啓一郎氏の「マチネの終わりに」を一気に読んだ。

読んでいる間、小説にこめられたメッセージを読み逃したくなくて、同じ部分を何度か読み返したり、途中で読み戻ったりした。楽しい時だった。

 

「マチネの終わりに」は随所で話題になっているし、読書感想文をここで書くつもりはない。大体、読み終わってからまだ一時間ぐらいしか経っていない。感じたことを簡単にまとめられない。こうしてブログを書いている今でも、いろいろな思いが頭の中を縦横無尽に、ぶつかりながら走り回っている。

 

私が書きとめておきたいのは、今まで漠然と感じていて、今回、確信に変わった

こと。どれだけ、外国生活が長くなろうとも、日本語に触れる機会が少なくなろうとも、私は日本人の両親のもと日本で生まれた日本語を母語とする日本人で、日本語で読むのが一番楽しい、ということだ。

 

イギリスでは、普通に書店で日本語書籍が入手できるわけでもないし、アマゾンで注文すると送料がすごい。日本語の書籍は、日本米と並んで貴重な存在だ。たまに日本に出張したときに大量にまとめ買いするけれど、慢性的に枯渇している。そこで、私が自分で決めたのは、日本語と外国語の本を交互に読むことだ。そうすればある日突然、日本語が底を尽きるということがなく、次の出張まで飢えを凌ぐことができる。

 

「マチネの終わりに」の直前に読んでいたのは、カズオイシグロ氏の最新作だった。個人的には今年読んだ本の中でベスト5に入ると思う。素晴らしい作品だった。いろいろ考えさせられた。でも、英語だった。つっかえたり、辞書をひかなくてはいけない箇所もあった。後半にさしかかってからは、あと100ページで終わる、あと30ページで終わる、みたいに、読み終えることを、もっと正確にいうと、終わって、日本語の本に移れることを心待ちにしていた。終わった時は、本の中身に対しての感動を、「やっと終わった」という達成感と「あーこれで日本語の本に移れる」という安堵感が包み込んだ。

 

まるで、苦手な数学の問題集がやっと終わって、好きな世界史の問題集に移れる、みたいな感じ。

 

私にとっての英語はいつまでも、「なんとかしなくてはいけないもの」で「上達を確認しなくてはならないもの」なんだと思った。

 

あと、何年イギリスに住むのかわからないし、このまま行くと永住してしまうかもしれない、でも、英語の本を読み終えた時の達成感と安堵感が消えることは無いだろう。

 

これは、英語に初めて触れたのが「科目」のひとつとしてだったからなのかもしれないし、どうせ一生かかっても英語を完全にモノにすることはできない、という事実によるものなのかもしれない。

 

そうして、次の次に読む日本語の本のことをたのしみにしながら、英語の小説にとりかかる。(650ページもあるじゃないか、、、)

 

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これ⇧が終わって、これ⇩

 

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