お弁当 こどものためではなく。。。

出張で頻繁に帰国しているとはいうものの、日本を離れて七年になろうとしているので、最近の日本のビジネスマン、ビジネスウーマンのお昼ご飯事情には疎いのですが。。。

 

ロンドンオフィスに異動になって毎日楽しませてもらっているのが、同僚たちのクリエイティビティ溢れるお弁当です。

 

なんの変哲も無い平凡なサンドイッチでも結構高いし、千円でランチセットなんて夢のような話だし。そして、自分でランチを持ってきた方が美味しいし健康的だし、ということで、お弁当派がとても多いのです。

 

ただし、一言でお弁当といってもバラエティに溢れており、中にはお弁当とは言えないものも。いくつか紹介したいと思います。

 

よくあるのは、前日の夕食の残りをお弁当箱(といっても日本のように素敵なお弁当箱ではなく、ただのタッパーです。)に詰めてくるもの。私もこのパターンが多いです。前日に少しだけ多めに作り、翌日のお昼に持っていきます。若い男性の同僚のタッパーは、「それを一人で食べるのか?」とツッコミを入れたくなるぐらい大きいです。A4サイズのタッパーに、パスタがぎっしり詰まっているのを見たこともあります。

 

次によくあるのは、野菜を丸ごと買ってきて、いきなりオフィスでサラダを作るパターン。マイドレッシングはデスクに常備しています。ツワモノはオリーブオイル、ビネガー、塩、胡椒、レモンジュースなどを常備していて、自分でドレッシングを作っています。ダイエット中の同僚なんかは、月曜の朝に一週間分の野菜を買い、社員用の冷蔵庫に保管して毎日少しずつ消費しています。どうやって野菜をカットしているか?すごいですよ。社員用のカフェに置いてあるプラスティックのナイフで切ってます。同じような感じで、一週間分のパン、ハム、野菜を買ってきて、毎日ひたすら自分でサンドイッチを作る人もかなりいます。男性に多いです。社員用の冷蔵庫の中は、マイバター、マイマスタード、マイソース、、、すごいことになっています。

 

最後に今までに一番驚いたランチを。朝、出社したら、乾燥わかめと乾燥椎茸が水に浸してありました。(この時点では誰がやっているのか知りませんでした。日本人はオフィスで私一人なので、ずいぶん珍しいなと思ったのです。)

お昼の時間になって、びっくりしました。備え付けの電子レンジで米麺を茹で、市販のボトル入りのスープの素を足し、水に戻したわかめと椎茸を足し、最後に前の日の残りものの焼肉みたいなものを足し、焼き海苔を浮かべ。。。嬉しそうに食べていました。彼とは直接仕事をしていないのですが、同僚に聞いたところ日本大好きだそうです。

 

写真は、オフィスの「ミニキッチン」です。電子レンジ、電子レンジ可のお皿、ボウル、そして冷蔵庫です。

 

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イギリスのボーディングスクール 大したことじゃないかもしれないけれど

昨年の九月に始まった娘のボーディングスクール生活、あと二週間ちょっとで学年末を迎えます。

 

娘はとても楽しそうにしているし、総合的に見て、正しい選択だと思っているのですが、それでも時折、疑問符が頭をよぎることがあります。そのうちの幾つかを。。

 

ボーディングスクールでの生活が始まってから、確実に体重が増えています。

娘の通う学校は、他に比べて、食事にこだわっているし、毎日午前十時と午後三時のいわゆるオヤツの時間も、フルーツが中心なのでそんなに心配していなかったのですが。。。和食中心の食生活からイギリス式食生活に変わったことが原因か、好きなものを好きなだけお代わりできることが原因か、はっきりしたことはわからないのですが、親の目から見て、帰ってくるたびにポッチャリ度が増しています。

ただ、多感な年頃のおんなのこに体重の話をするのは想像以上にインパクトが大きいので、本人には何も言わずに様子を見ているのが現実。夏休みを機会に和食に戻そうと目論んでいます。

 

変なイボが。。。足の裏に。

英語ではVerrucaというらしいです。そしておそらく、ボーディングハウスのシャワールームで拾ったのでは、とのこと。ああ、家にいたら絶対こんなことないのにな、と軽くショックでした。それに追い打ちをかけるように、なんと、そのイボにビニールテープを貼って帰宅しました。ビニールテープって直接肌に貼っても良いの?娘によると、この種類のイボは空気に触れさせないことが一番でそのためにビニールテープなんだそうです。薬もつけずにひたすらビニールテープ。イボが発生して一ヶ月以上経ちますが、消える気配はありません。

こちらも、夏休み中になんとかしたいと計画しています。

 

まだまだあるので、私の中ではこの二つが今年の二大心配事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスの儚い夏

暑いです。現在の気温は摂氏33度。天気予報によると夜の8時ぐらいまで気温は下がらないようです。

オフィスでも路上でも皆浮かれてます。短いイギリスの夏、来週になれば、また最高気温が20度台前半に戻ってしまう。今のうちに思い切り太陽の光を浴びよう、あわよくば日焼けもしたい、ということで同僚からランチタイムに近くの公園で日光浴に行こうと誘われました。

 

想像はしていたけれど、公園の芝生は、日本の夏の江ノ島海岸のように混雑していました。驚いたのは、水着で日光浴している人の多いこと。わざわざ水着を携帯しているんですね。

私はさすがに水着にはなりませんでした。しかも、乾燥しているからか日差しが結構キツくて早々と退散してしまいした。

 

これだけ、有難がってもらえると、太陽も嬉しいでしょうね。

写真は、先週日曜に娘をボーディングスクールに送り届ける途中に立ち寄った「宮殿」のお庭です。この日も31度と暑かったですが、緑と青と白のバランスがとても爽やかでした。

 

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ロンドンで働く

ロンドンに赴任して一年半が経ちました。

 

私の勤務先は、英国企業だし、シンガポールオフィスから異動になっているので、日本企業から駐在で来られている方々とは状況が全く違うと思います(しかも、オフィスには私以外に日本人はゼロです)。参考にならないかもしれませんが、ロンドンで働くようになって気づいたことを書きたいとおもいます。

 

その一。

イギリス人は外国人と働くことに慣れている。東京、ニューヨーク、シンガポール、パリで働いた経験をベースにしていますが、個人的にイギリス人、とくにロンドンの人はとても外国人慣れしていると思います。大英帝国時代に地球のあちこちを植民地化した経験が根付いているのか、それとも、EUのおかげで、ヨーローッパ各地から英語を母国語としない外国人がウジャウジャいるからなのか。外国人だという理由で悔しい思いをしたことはないです。私自身も外国人として働いている、と意識することは殆どありません。とにかく、仕事をちゃんとして、結果さえ出せば、フェアに接してくれます。

 

その二。

でも、心を開いてもらうのはそんなに簡単じゃない。仕事上ではとてもフェアに接してくれる彼らですが、警戒心が強い人が多いです。(まあ、私が不思議な東洋人だというのもあるでしょうが。)深い信頼関係、友情を築くには双方それなりに歩み寄る意志が必要だと感じます。双方、つまり自分からも心を開く必要があります。そして次にも述べますが、警戒心をソフトにカバーするのにユーモアがとても役に立っています。

 

その三。

ユーモアのセンスがあること、面白いことがこれほど重要視されるカルチャーを私は知りません。そして、ユーモアの大切さを日々実感しています。場が凍るようなことが起こった時、失敗してしまった時、気まずくなってしまったとき、捻りのきいたジョークをかますと、一気に緊張がゆるみます。さらに、相手に対して警戒心を抱いていたとしても、ユーモアのセンスがあれば、殺伐とした状況にはなりません。

 

その四。

慌てない。パニクらない。これは、もう本当に学ばないといけません。本当にパニクってないのか、それとも、うまく隠しているのか、人それぞれだと思いますが、普通だったら慌てふためいて、場合によっては声を荒げてしまうような状況でも、悠然と構えています。ジョークをかますことさえあります。いちど、同僚に聞いたのです。「よく、あんな状況でパニックにならずにいられるね」と。返事は「だってみっともないじゃん。ジェントルマンらしくない。」そうですね、はいごもっとも。

 

その五。

当たり前すぎて書いて良いのかも分かりませんが、書いてしまいます。帰国子女でもない、若い時にイギリスで教育を受けたわけでもないのですから、絶対越えられない言語的限界があります。イギリス人のように気の利いたジョークをさらりと言えるようになるには、おそらくあと三年はかかるでしょう。イギリス人のように、香しい文章が書けるようになるには、五年じゃ済まないでしょう。ましてや、どこかのパブリックスクール卒業生のようなアクセントを身につけるなんて一生無理でしょう。でも、仕方ないです。日本で生まれて育ったから。日本人なりのジョーク、英語の教科書が透けてみえるような文章、変なアクセント、そんな中で、毎日、面白い言い回し、洒落た文章、少しずつ身につけていくしかありません。そして、自分の考えを伝えるための努力は惜しまないこと。逃げない、誤魔化さないことが、職場では本当に大切だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとがっかりしたベートーベン

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年末に第九が聴きたくなるのは、地球のどこにいても同じ。ということで、いってきました。Royal Philharmonic OrchestraとGoldsmiths Choral Union / Highgate Choral Society / The London Chorusによる演奏です。 (指揮はChristopher Warren-Green)

ライブで聴く第九は素敵です。身体全体で音楽を感じることができるから。ホルンのソロ上手だな、とか、この指揮者すごい汗かいてる、とか、このバリトンの声、お腹に響く、とか。

で、いつも泣きそうになります。(本当に泣いたことはまだありませんが)ベートーベンがどんな思いで作曲したのか、とかどんな部屋で作曲したのか、とか考えていると、涙が出そうになるのです。

 

ただ、今回のコンサートは色々がっかりしてしまいました。

 

第一部は、同じくベートーベンのピアノコンチェルト第五番。まず、ピアニストが初っ端、誰にも分かるような間違いをしました。「うわっ」と思って、そのあとは、また間違えるんじゃないかと思ってハラハラしてしまいました。実際そのあとも何度か間違えたり、指が滑ったりしていました。おそらく、ピアニストの方も、最初の間違いのせいで慎重になってしまったのかもしれません。ソロの部分がとっても単調でした。

 

私は、何十年も前にピアノをやめてしまっているので、偉そうなことは書くべきでないし、五番は難しいのもわかっているのですが、消化不良でした。2016年最後のコンサートだったことも影響しているかもしれません。

 

そして、第九。まず、コーラス。指揮者を見ようよ、と。私も経験したことがありますが、第四楽章のコーラスは、歌っているだけで気分が高揚します。自分に酔いがちになります。すると、周りが見えなくあります。コーラスの入り方、抜け方はとっても大切で、全員が揃わないとだらしない感じになってしまうのです。

 

昔、シンガポールシンフォニーオーケストラのコーラス部に所属していた時のことを思い出しました。コーラス部門は当然のことながら皆アマチュアです。オーディションがあるものの、レベルもバラバラです。そんな私たちに指揮者のオジさんはしょっちゅうキレてました。コンサート前のオケとの練習の時なんて、ストレスがマックスになっていました。

そんな彼に対して、私は思っていました。プロでもない私たちにそんなに要求できないよ、と。コンサートで歌ったって一銭も出ないのに、と。

観客席に座ってみて、初めて、指揮者のオジさんの怒りがわかりました。そして、反省しました。

 

あとオケ。Royal Philharmonic OrchestraはLondon Symphony Orchestraと比べると知名度が低いですが、由緒ある、レベルの高いオーケストラです。個々のミュージシャンのレベルもとても高いです。なのに、なんで、あんなにバラバラした感じになってしまったのでしょうか。リハーサルが足りなかったのかな。ストリングがとてもおとなしく、その代わりにブラスの主張がすごかった。

 

と、なんだかんだ言いながら、第九を生で聴けたし、幸せな気分でコンサートホールを後にしました。

 

 

 

 

You Say You Want a Revolution ? Records and Rebels @ V&A

 

www.vam.ac.uk

 

年の瀬に、今年の個人的ベスト展覧会が入れ替わってしまいました。(今日までは、Ashmolean Museumで夏にやっていた古代エーゲ海域の展覧会でした。)

 

とにかく面白かった。さすがV&A、と唸らせる展覧会です。

 

1966年から1970年の4年間がこんなに凝縮されていたとは。火傷しそうに熱い。

 

世界は変わらなくてはいけない、自分たちの手で世界を変えようという情熱が音楽、ファション、文学、社会運動という形をとって届けられた4年間。達成の度合いはそんなに重要でなくて、とにかく、行動、表現することが重要であった4年間。

 

個人的に心に残っているのは、1966年の時点で、将来やってくる大量消費社会、マテリアリズムについての警鐘が既に鳴らされていたということ。50年経った2016年、本当にそうなってしまった。仕方ないのか、もしかしたらどこかの時点で軌道修正できたんじゃないか、そんなことを思いながら、会場を出たら、展覧会グッズのポップアップストアがすごいことになっていて、物欲を刺激されまくってしまった。(何も買わなかった自分を褒めたい。)

 

来場者は、ヘッドホンを着用し、当時の音楽を聴きながら展覧会に参加します。選曲は最高です。

 

来場者の平均年齢がとても高いのも気に入りました。ほぼ全員が私より年上でしたが、8歳の娘もカルチャーショックを受けながら楽しんでいました。

 

 

 

 

泣いた。『ボクの音楽武者修行』小沢征爾

ページが残り少なくなるにつれて、このまま読み続けていたい、終わって欲しくない、と思った。そして、最後の数ページでは鼻の奥がツンとなって、じわじわと涙が出てきた。

 

『ボクの音楽武者修行』は当時二十六歳だった小沢征爾氏本人によるものだ。全篇をとおして瑞々しい。若さに溢れてプルプルしている。彼が全力疾走で駆け抜けた三年間の中に完全に引き込まれてしまった。

 

指揮者としては、この後何年も続くキャリアのスタートを切ったばかり。当然のことながら、小沢征爾氏がこの本を書いた時点では、この後でどんな名声が待ち受けているか知る由もなかった。(初版から四十年後に読んだ私は、この後の氏の世界的な成功を知っている、というのも不思議だ。)

 

それにしても、なんで泣いてしまったのか。自分なりに考えてみたのだが、かれの純粋さ、音楽への情熱、人間としての暖かさに心を打たれたというシンプルな理由なのだと思う。

 

小沢征爾氏が「共生感」という言葉を使って音楽について語るのを何度か耳にしたことがあるけれど、この本を読んで私が感じたのは「共生感」に近いものなのではないかと思った。

 

最後の一文「これから、あと五年さき、十年さきにぼくがどうなっているかということは、ぼくには全く予想がつかないけれども、ただぼくが願っていることは、いい音楽を精いっぱい作りたいということだけだ」には、私の勝手な推測だけれども、小沢征爾氏の音楽家としての全てが凝縮されているような気がする。いい音楽を作りたい、それだけ。

 

(それにしても、音楽を作る(making music)、とても好きな言葉だ。見えないものを作るというのは、完成のない終わりのない工程で、希望に溢れている。

 

そして、もちろん氏とは比べものにならないけれど、ささやかに音楽を作っているものとして、暖かくて思わず空を見上げたくなるような力をもらった。

 

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