Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

ロンドンで働く

ロンドンに赴任して一年半が経ちました。

 

私の勤務先は、英国企業だし、シンガポールオフィスから異動になっているので、日本企業から駐在で来られている方々とは状況が全く違うと思います(しかも、オフィスには私以外に日本人はゼロです)。参考にならないかもしれませんが、ロンドンで働くようになって気づいたことを書きたいとおもいます。

 

その一。

イギリス人は外国人と働くことに慣れている。東京、ニューヨーク、シンガポール、パリで働いた経験をベースにしていますが、個人的にイギリス人、とくにロンドンの人はとても外国人慣れしていると思います。大英帝国時代に地球のあちこちを植民地化した経験が根付いているのか、それとも、EUのおかげで、ヨーローッパ各地から英語を母国語としない外国人がウジャウジャいるからなのか。外国人だという理由で悔しい思いをしたことはないです。私自身も外国人として働いている、と意識することは殆どありません。とにかく、仕事をちゃんとして、結果さえ出せば、フェアに接してくれます。

 

その二。

でも、心を開いてもらうのはそんなに簡単じゃない。仕事上ではとてもフェアに接してくれる彼らですが、警戒心が強い人が多いです。(まあ、私が不思議な東洋人だというのもあるでしょうが。)深い信頼関係、友情を築くには双方それなりに歩み寄る意志が必要だと感じます。双方、つまり自分からも心を開く必要があります。そして次にも述べますが、警戒心をソフトにカバーするのにユーモアがとても役に立っています。

 

その三。

ユーモアのセンスがあること、面白いことがこれほど重要視されるカルチャーを私は知りません。そして、ユーモアの大切さを日々実感しています。場が凍るようなことが起こった時、失敗してしまった時、気まずくなってしまったとき、捻りのきいたジョークをかますと、一気に緊張がゆるみます。さらに、相手に対して警戒心を抱いていたとしても、ユーモアのセンスがあれば、殺伐とした状況にはなりません。

 

その四。

慌てない。パニクらない。これは、もう本当に学ばないといけません。本当にパニクってないのか、それとも、うまく隠しているのか、人それぞれだと思いますが、普通だったら慌てふためいて、場合によっては声を荒げてしまうような状況でも、悠然と構えています。ジョークをかますことさえあります。いちど、同僚に聞いたのです。「よく、あんな状況でパニックにならずにいられるね」と。返事は「だってみっともないじゃん。ジェントルマンらしくない。」そうですね、はいごもっとも。

 

その五。

当たり前すぎて書いて良いのかも分かりませんが、書いてしまいます。帰国子女でもない、若い時にイギリスで教育を受けたわけでもないのですから、絶対越えられない言語的限界があります。イギリス人のように気の利いたジョークをさらりと言えるようになるには、おそらくあと三年はかかるでしょう。イギリス人のように、香しい文章が書けるようになるには、五年じゃ済まないでしょう。ましてや、どこかのパブリックスクール卒業生のようなアクセントを身につけるなんて一生無理でしょう。でも、仕方ないです。日本で生まれて育ったから。日本人なりのジョーク、英語の教科書が透けてみえるような文章、変なアクセント、そんな中で、毎日、面白い言い回し、洒落た文章、少しずつ身につけていくしかありません。そして、自分の考えを伝えるための努力は惜しまないこと。逃げない、誤魔化さないことが、職場では本当に大切だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとがっかりしたベートーベン

f:id:twistedtongue:20170102050032j:plain

 

年末に第九が聴きたくなるのは、地球のどこにいても同じ。ということで、いってきました。Royal Philharmonic OrchestraとGoldsmiths Choral Union / Highgate Choral Society / The London Chorusによる演奏です。 (指揮はChristopher Warren-Green)

ライブで聴く第九は素敵です。身体全体で音楽を感じることができるから。ホルンのソロ上手だな、とか、この指揮者すごい汗かいてる、とか、このバリトンの声、お腹に響く、とか。

で、いつも泣きそうになります。(本当に泣いたことはまだありませんが)ベートーベンがどんな思いで作曲したのか、とかどんな部屋で作曲したのか、とか考えていると、涙が出そうになるのです。

 

ただ、今回のコンサートは色々がっかりしてしまいました。

 

第一部は、同じくベートーベンのピアノコンチェルト第五番。まず、ピアニストが初っ端、誰にも分かるような間違いをしました。「うわっ」と思って、そのあとは、また間違えるんじゃないかと思ってハラハラしてしまいました。実際そのあとも何度か間違えたり、指が滑ったりしていました。おそらく、ピアニストの方も、最初の間違いのせいで慎重になってしまったのかもしれません。ソロの部分がとっても単調でした。

 

私は、何十年も前にピアノをやめてしまっているので、偉そうなことは書くべきでないし、五番は難しいのもわかっているのですが、消化不良でした。2016年最後のコンサートだったことも影響しているかもしれません。

 

そして、第九。まず、コーラス。指揮者を見ようよ、と。私も経験したことがありますが、第四楽章のコーラスは、歌っているだけで気分が高揚します。自分に酔いがちになります。すると、周りが見えなくあります。コーラスの入り方、抜け方はとっても大切で、全員が揃わないとだらしない感じになってしまうのです。

 

昔、シンガポールシンフォニーオーケストラのコーラス部に所属していた時のことを思い出しました。コーラス部門は当然のことながら皆アマチュアです。オーディションがあるものの、レベルもバラバラです。そんな私たちに指揮者のオジさんはしょっちゅうキレてました。コンサート前のオケとの練習の時なんて、ストレスがマックスになっていました。

そんな彼に対して、私は思っていました。プロでもない私たちにそんなに要求できないよ、と。コンサートで歌ったって一銭も出ないのに、と。

観客席に座ってみて、初めて、指揮者のオジさんの怒りがわかりました。そして、反省しました。

 

あとオケ。Royal Philharmonic OrchestraはLondon Symphony Orchestraと比べると知名度が低いですが、由緒ある、レベルの高いオーケストラです。個々のミュージシャンのレベルもとても高いです。なのに、なんで、あんなにバラバラした感じになってしまったのでしょうか。リハーサルが足りなかったのかな。ストリングがとてもおとなしく、その代わりにブラスの主張がすごかった。

 

と、なんだかんだ言いながら、第九を生で聴けたし、幸せな気分でコンサートホールを後にしました。

 

 

 

 

You Say You Want a Revolution ? Records and Rebels @ V&A

 

www.vam.ac.uk

 

年の瀬に、今年の個人的ベスト展覧会が入れ替わってしまいました。(今日までは、Ashmolean Museumで夏にやっていた古代エーゲ海域の展覧会でした。)

 

とにかく面白かった。さすがV&A、と唸らせる展覧会です。

 

1966年から1970年の4年間がこんなに凝縮されていたとは。火傷しそうに熱い。

 

世界は変わらなくてはいけない、自分たちの手で世界を変えようという情熱が音楽、ファション、文学、社会運動という形をとって届けられた4年間。達成の度合いはそんなに重要でなくて、とにかく、行動、表現することが重要であった4年間。

 

個人的に心に残っているのは、1966年の時点で、将来やってくる大量消費社会、マテリアリズムについての警鐘が既に鳴らされていたということ。50年経った2016年、本当にそうなってしまった。仕方ないのか、もしかしたらどこかの時点で軌道修正できたんじゃないか、そんなことを思いながら、会場を出たら、展覧会グッズのポップアップストアがすごいことになっていて、物欲を刺激されまくってしまった。(何も買わなかった自分を褒めたい。)

 

来場者は、ヘッドホンを着用し、当時の音楽を聴きながら展覧会に参加します。選曲は最高です。

 

来場者の平均年齢がとても高いのも気に入りました。ほぼ全員が私より年上でしたが、8歳の娘もカルチャーショックを受けながら楽しんでいました。

 

 

 

 

泣いた。『ボクの音楽武者修行』小沢征爾

ページが残り少なくなるにつれて、このまま読み続けていたい、終わって欲しくない、と思った。そして、最後の数ページでは鼻の奥がツンとなって、じわじわと涙が出てきた。

 

『ボクの音楽武者修行』は当時二十六歳だった小沢征爾氏本人によるものだ。全篇をとおして瑞々しい。若さに溢れてプルプルしている。彼が全力疾走で駆け抜けた三年間の中に完全に引き込まれてしまった。

 

指揮者としては、この後何年も続くキャリアのスタートを切ったばかり。当然のことながら、小沢征爾氏がこの本を書いた時点では、この後でどんな名声が待ち受けているか知る由もなかった。(初版から四十年後に読んだ私は、この後の氏の世界的な成功を知っている、というのも不思議だ。)

 

それにしても、なんで泣いてしまったのか。自分なりに考えてみたのだが、かれの純粋さ、音楽への情熱、人間としての暖かさに心を打たれたというシンプルな理由なのだと思う。

 

小沢征爾氏が「共生感」という言葉を使って音楽について語るのを何度か耳にしたことがあるけれど、この本を読んで私が感じたのは「共生感」に近いものなのではないかと思った。

 

最後の一文「これから、あと五年さき、十年さきにぼくがどうなっているかということは、ぼくには全く予想がつかないけれども、ただぼくが願っていることは、いい音楽を精いっぱい作りたいということだけだ」には、私の勝手な推測だけれども、小沢征爾氏の音楽家としての全てが凝縮されているような気がする。いい音楽を作りたい、それだけ。

 

(それにしても、音楽を作る(making music)、とても好きな言葉だ。見えないものを作るというのは、完成のない終わりのない工程で、希望に溢れている。

 

そして、もちろん氏とは比べものにならないけれど、ささやかに音楽を作っているものとして、暖かくて思わず空を見上げたくなるような力をもらった。

 

f:id:twistedtongue:20161229083522j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーディングスクール 冬休みの前の一大イベント

クリスマスターム(娘の通っているボーディングスクールは所謂一学期のことをクリスマスターム/Christmas Termと呼びます。)も今週で終わり。来週から三週間の休暇に入る。

ひとつ前のエントリーでも触れたが、この国はクリスマスに入ると国全体がチャリティーモードになる。一人でも多くの人がクリスマスを暖かく迎えられるように、と。日本の歳末助け合いと少し似ている。(余談ですが、かさ地蔵の話をイギリス人の友人にしたら感動して泣きそうになっていました。)

 

娘の学校も例外ではなく、学期最終日に学校をあげてのバザーが企画されている。このバザー、学校関係者であれば誰でも出店できる。自営業の家庭は、売上の大部分を寄付することに同意していれば、自分のところの商品を売ることもできる。

 

娘も寮で仲良くしている友達と出店するのだと、とても張り切っている。小学校三年生が何を売るのかな、と思ったら、鉛筆と消しゴムを売るのだそうだ。使われずに眠っている鉛筆と消しゴムを集めて、それを売ったお金を、自分たちで選んだチャリティ団体に寄付するのだ、と。子供達なりに考えたんだろうな、と思って嬉しかった。

 

我が家は引っ越しの真っ只中だったのが幸いして、荷造りしながら、意識して鉛筆と消しゴムを探した。出てくる出てくる。そこに、会社の近くのディスカウント文房具店で少し買い足して、娘に届けた。

 

当日は、私もボランティアで娘のお店を手伝うことになっている。娘の一番の仲良しのお父さんと一緒に。

 

バザーはいよいよ土曜日。娘に二週間ぶりに会えるのと、どんなバザーなんだろうという好奇心で、まだ月曜日だというのに週末が楽しみで仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

チャリティコンサート

f:id:twistedtongue:20161208175446j:plain

 

慈善活動(チャリティ)が日常に浸透しているイギリス。石を投げると何らかのチャリティ団体にあたるのでは、と思うほど数多くのチャリティ団体が存在する。

とくに、12月になると、クリスマスが近いこともあり、色々なチャリティイベントが街のあちこちで開催される。その中で最もポピュラーなのが、チャリティコンサート。

私の所属するオーケストラにもお呼びがかかった。Icarus Trustという依存症を抱える家族を支援する団体が主催するコンサートだ。(詳しくはこちらThe Icarus Trust supporting families affected by addiction

 

引っ越したばかりで、楽器にも三週間以上触れていない。でも、クリスマスキャロルは割とシンプルなものが多いし、いままでも初見で臨んだことがあったので、なんとかなるだろう、とタカをくくったのが間違いだった。

 

まず、コンサート会場となった、St. John's Hyde Park、とても素敵な教会。私が到着した時は(オケの集合時間に五分遅れた。完全に舐めていた。)由緒正しい、それこそ称号がついていそうな紳士淑女が既に百人以上集っていて、社交サロン状態になっていた。まずい、、、私が考えていたチャリティコンサートとは違う。

 

オケの控え室に通されて、早速馴染みの顔を見つけた。フルート奏者である彼女に「なんかすごくない?」と聞いたら、「うん、なんか、いつもよりすごい」と。良かった、イギリス人でもそう思うのね。

開演十分前にプログラムを渡され、私の読みは完全に間違っていたことに気づく。まず、七曲もやるなんて聞いてなかった。しかも、コーラスのメンバーはロイヤルアカデミーの声楽専攻の学生と来たもんだ。

 

もちろん、コンサートのレベルはとても高く、私はヒヤヒヤしながらとにかく間違えないことに集中した。

 

あとで知ったのだが、このコンサートのチケットは£30だったそうだ。日本円にして約4500円。チャリティコンサートにしては強気だ。コンサートに対する期待が高いのも無理はない。

 

昨日の自分の舐めた態度については心から反省した。ごめんなさい。

そしてイギリス人のチャリティに対する本気度から学ぶべきものは沢山あると思った。

 

それにしても、£30入場料として徴収しておいて、さらに募金を集めていたのには驚いた。最後のキャロルを演奏している間に募金箱が回っていた。客席近くに座っていた私は、あるご婦人が£50冊を何枚も箱に入れたのを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロンドンで家を買う、そして引っ越し。そしていきなりびっくり。

引っ越しました。二十歳から続いた賃貸生活とさよならです。四十代で初の家購入。二十年ローン。今まで家賃に消えていった金額を思うと、胸騒ぎがします。

 

風光明媚で環境抜群のHenley-On-Thames (Oxfordshire)から何でも高いLondonへ。娘がボーディングスクールに通うようになって、毎日の送迎が必要なくなったのと、トラブルばかりの電車通勤が限界に達してしまったことが理由です。

 

物件を探し始めてから実際に移り住むまで一年かかりました。弁護士さんとのやりとりや、住宅ローンの組み方、保険、おかげでとっても詳しくなりました。

 

日本(シンガポールもある意味同じ)と違って、イギリス、とくにロンドンでは新築の物件には滅多にお目にかかりません。そして、古い物件の方が趣があるという理由で人気もあります。将来の市場価値を考えても古い物件は値が下がりにくい、ということで、我々が選んだ物件は築180年。

 

当然ですが、初日から、プチがっかりの連発です。でも、古い物件はそういうもの、と諦めてなるべく良い面だけを見るようにしています。この点はパリ生活でついた免疫のおかげ

 

でも、今朝、初シャワーで恐怖の体験をしました。お湯の出が悪いのはイギリス国内津々浦々仕方ないとして、流れも悪いのです。おかしいな、入居前にプロのお掃除屋さんに入ってもらったのにな、と思いながら排水口を見ると、、、毛がつまっていました。仕事が雑だなあ、と思いながら、つまった毛を取り除こうとしたら、途切れることなく出てくるのです。ただごとでは無い、と急遽戦闘態勢に入りました。ゴム手袋、シュッポン(ラバーカップ)を取ってきて、何回かシュッポンシュッポンしていたら、体積にしてバレーボール一個分ぐらいの毛が出てきました。金髪あり、茶髪あり、、これは一体何年分の毛だ⁇もしかしたら、自分は180年前の住人の毛髪と対峙しているのではないか⁇などと想いを馳せてしまいました。

 

毛髪の写真はとっても気持ち悪いので、寝室からの写真にします。正午に撮影してこの暗さ。

 

f:id:twistedtongue:20161207233322j:plain