イギリスで働く 解雇されるまでの六十日間。カウントダウン始まり。その参。

まだ残っている。

 

先日の上司との一対一の面談は上司の都合でキャンセルになった。そのあとは、私が忙しかったり、上司が出張に行っていたり、と面談はまだ実現していない。

 

そして、あと二週間もするとオフィス自体がクローズになる。(弊社は、オフィシャルには二十二日が年内最終日、私も含めて半数以上は二十日が最終日。)しかも、師走に入るや否や、オフィスが完全にクリスマスモードになっており、チームのクリスマスパーテイー、部署のパーティー、オフィス全体のパーテイーが立て続けにある。それに加えて、友人や家族とのイベント、子供がいる人は、学校のイベントもある。だから、人事部も上司も人員整理どころではない。

 

だから、きっと年内は生き残るだろう。当初の読みを後方修正しることにした。第一四半期ぐらいまでは生き残るかもしれない。それはそれでありがたい。

 

しかし、先日、変な話を聞いた。昨今のダイバーシティについての(時には過剰に思える)議論の高まりのおかげ(?)で、私のことは解雇しにくいのではないか、と弁護士をしている友人が言った。

 

そんな話をしてから改めてオフィスを見回すと、確かにアジア系、アフリカ系がいないのだ。イギリス社会の現実を完全に無視した人種構成。(ちなみに日本人は五百人の中で私一人だけ)私の勤めている業界は以前から、ダイバーシティについての批判(極度に白人に偏った構成)にさらされることが多かった。こんな状況でマイノリティである私を解雇したら世間から叩かれるリスクに無関心でいる人事はいないだろう、と。

 

そんなものか、と思いながら聞いていたが、正直、そんな理由で解雇されずに生き残ったとしても全く嬉しくないな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

伝説のセレクトショップ、コレット・パリ。

半分仕事、半分休暇でパリに行ってきた。早々に仕事を片付けて、残りの二日は、サンローラン美術館、ディオール展覧会をチェックし、コメディフランセーズで観劇し、学生の頃から通っているレストランで食事をし、そしてコレット・パリに行くという五点盛り。なんとか全て詰め込み、ギリギリ、ロンドンに帰るユーロスターに間に合った。

 

コレット・パリが閉店するという。ただのセレクトショップでなく、ある意味、文化の発信地でもあった伝説の店。オープンしたのは1997年、私がパリで学生をしていた頃だ。店内にいるだけで、感度が高くなったような錯覚を起こさせてくれた。(高くて何も買えなかったけれど。)

 

パリで仕事をするようになって10歳のコレットに戻った。そこで、クレジットカードの請求書を心配しながら、コレットとコムデギャルソンのコラボレーションのTシャツを買った。Tシャツのくせに日本円で5万円近くした。大切に大切に着ていたのに、5年前に出張でホテルに宿泊した時にランドリーサービスに出したら、変色して、キラキラも剥げてしまっていた。泣く泣くお釈迦にしてしまった。

 

そしてさらに10年後、コレットが20歳になって2017年。閉店前に見納め。

ものすごい人混み。しかも寒くてみんな着ぶくれているので、動きづらい。そしてなんだか埃っぽい。品揃えは相変わらず面白いけれど、以前のような心地よいショックはなかった。とにかく二階に上がる階段にたどり着くまでに、人混みをかき分けて。。。年のせいもあるのだろうが、元々人混みを見た瞬間、全てのやる気が失せる、さらに、マナーの良くない人を見ると、心がトゲトゲする。二階に上がってみたものの、しかも、シャネルとのコラボが興味深かったものの、五分もしないうちに降りてきてしまった。

 

コレットに敬意を表して、告白すると、「もうこれは素敵すぎる!さすがコレット!」と唸ったシャツがあって、多分五年前の私だったら迷わず買っていただろうが、買わなかった。ボーディングスクールのバカ高い学費、住宅ローンのことを考えると、とてもじゃないが買えない。

 

結論から言って、期待していたほど楽しめなかった。その原因はなんだろう。

まず、(例のシャツ以外は)「こんなの見たことない、すごい!」と思うアイテムに出会わなかったこと。どこかで見たことがあったことがあるモノが多かった気がする。そして、とにかく人がすごくて、ゆっくり店内を見て回るなんて気持ちにならなかったこと。「コレットはもはやパリの観光地なのだ」と思った。そして、人の多さにも関連しているが、たくさんの商品が可哀想な状況になっていたこと。店内に並ぶ商品は、もちろんお客さんが自由に手にとって見ることを想定している。でも、私は、そこにお店に対して、スタッフに対して、そして商品に対してのリスペクトがあるべきだと思っている。間違っても、チョコレートがついた指で白いTシャツを触るべきではない!

 

そして、最後に認めたくないが、もうひとつの理由。私が年をとったのだろう。思ったより楽しめなかったのも、私の感度が鈍りまくっているからかもしれない。気をつけないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イギリスのボーディングスクール 食生活。

日本人として和食で育ち、和食の素晴らしさを知っているだけに、どこに住んでいようと自分の子供にも和食を、と思う日本人の親御さんは多いと思う。特に、イギリスの食事情は(一昔前に比べて格段に改善されたとはいえ)、健康的とは言えない。個人的には、砂糖の消費量が半端ではないこと、お菓子が気持ち悪いほど甘いことがとにかく気にくわない。

 

ボーディングスクールに入学する前は、和食中心、そして、お菓子も基本的には週末だけ、みたいにそれなりに気をつけていたのだが、、、。

 

ここからは、「我が校は食事に気を使っています!」とアピールしている学校の話。

 

まず、和食が出てくることは無い。たまに、アジア料理と称してインド風のカレーが出たりするみたいだが、和食は絶対に出てこない。基本的には「西洋の料理」だ。イギリスの学校の中ではかなり国際色豊かで、日本人を含む様々な国籍の子供達がいるのにも関わらず。

 

パンの量が多い。サンドイッチやらトーストやら、パンばっかり。

 

果物の摂取量は多い。これは嬉しい。

 

(我が娘のように)食いしん坊は好きなだけお代わりできてしまう。

 

ベジタリアンだけでなく、いろいろな宗教に合わせた食事も選べる。また、各種アレルギーに対応したメニューが常に選択可能。

 

ボーディングスクールなので、当然、朝昼晩、三度の食事を学校で食べるわけだが、朝食と昼食、昼食と夕食の間に、Bun Breakと呼ばれる、おやつの時間がある。そこでは、果物、トースト、チーズサンドイッチなどが出てくる。さらに、Tuckというものがあって、これは有料なのだが、週に二回、チョコレートやビスケットなどの、市販のお菓子を購入できるチャンスがある。購入した分だけ、学期末に請求される。

 

前学期末に請求書を見て、腰を抜かしそうになった。娘は調子に乗ってTuckで散財しているではないか!確かに、夏休みで帰ってきた娘が、ものすごくムチムチしているのを見て、「あーやっぱり。」と思った。きっと、食欲に任せて、サンドイッチやらトーストやら好きなだけ食べているのだろうな。しかも、夫が典型的なアングロサクソンの大きい人といった体型なので、日本人は太りにくい、という伝説も全く通用しないのだ。日本人DNAが半分しかないのだから。

 

よし、二ヶ月の夏休みで、和食を思い切り食べさせてあげよう、炭水化物(特に小麦)に侵食された娘の胃袋を改善しなくては、と張り切った。その効果か否か定かではないが、二ヶ月で、なんとなくスッキリした。

 

しかも、夏休み明けに学校に戻る際、Tuckは一週間に一個だけ、と約束させて。今の所、ちゃんと守っているようだ。

 

さて、次の関門はクリスマス。これからクリスマスに向けて、ボーディングスクールでは毎週のように、クリスマスパーティーやらクリスマスディナーやら開催される。そして、クリスマス休暇は、夫の実家に帰り、和食とは縁遠い食生活になるのだ。。。(嘆息)

 

 

イギリスのボーディングスクール 親同士の付き合い。

親同士の付き合いが得意か苦手かと聞かれたら、迷わず苦手だと答える私。

 

なぜか。一番の理由は、当たり障りのない会話が苦手だから。何を話していいのか分からない。でも沈黙にも耐えられず、焦って適当に話題を見つける。それでいて、取り繕った話題のくだらなさに自己嫌悪に陥る。

 

そんな私にとって、娘がボーディングスクールに通っているのは都合が良い。なぜなら、親同士の付き合いが極度に限られているから。まず、娘のボーディングハウスに限って言えば、半分以上の親御さんがイギリス国外に住んでいて、滅多に顔を合わせることがない。年に二回か三回。だから久しぶりに会うと懐かしさが手伝ってくれて、それなりに話が弾む。

 

ディスクールの生徒(自宅から通っている生徒)だと、毎日の送り迎えがあるので、しょっちゅう顔をあわせる。挨拶だけというわけにはいかないだろう,

母語でも難しいのに外国語で世間話(Small TalkとかChit Chatと言う)をするのは苦しい。

 

もう一つ、個人的にホッとしているのは、親の参加が求められる行事や会議が極端に少ないことだ。ボーディングの生徒たちのことを考えれば当然だろう。自分の親はいつも学校行事に来ない、というのは子供にとって寂しいことだから。たとえ、イギリス国内、オックスフォード近郊に住んでいたとしても、仕事をしていると学校行事への参加は当然難しい。その辺りは学校側も分かっていて、親の関与は基本的に期待されていないと感じる。

 

私は、すぐに色んなことに罪悪感を感じてしまう性格なので、ちょうどよかったということか。

 

 

 

 

イギリスのボーディングスクール 歴史教育

 

二週間のハーフタームが終わり、お決まりのボンファイアナイト*に参加して娘をボーディングハウスに送り届けた。

 

今年のハーフタームは娘と日本に一時帰国して、秋の味覚を堪能しすぎた。日本に行く前に、娘をどこに連れて行こうかと考えていたのだが、江戸東京博物館に連れて行きたかった。私の好きな博物館の一つでもある。

 

でも結局行かなかった。第二次世界大戦の展示での娘の反応を心配したからだ。

 

ハーフタームが始まって間もない頃、娘とお茶を飲んでいたら、娘が急に「日本は第二次世界大戦で酷いことしたんだね。」と寂しそうに言い出した。どんな会話の流れで大戦の話になったのかは定かではないのだが、ハーフタームの直前の歴史クラスのテーマが第二次世界大戦だった。(イギリスでは、日本のように時系列的に古代から歴史を学ぶということをあまりしない。毎学期ごとにテーマがあって、それを掘り下げて行く。昨年は、ギリシャで始まり、産業革命、第一次世界大戦だった。)

 

「あ、そうか、外国で歴史を学ぶというのはこういうことなのか」というのが私の最初の反応だった。国が異なれば、歴史の教え方が異なるのは当然だ。私は第二次世界大戦を学んだ時は日本にいた。私はラッキーだった。高校の世界史の先生が教科書に書いてないことばかり教えてくれた。受験用の世界史の勉強は勝手に家でやってくれと言われたことを覚えている。

 

娘の学校はイギリスにあってイギリスのカリキュラムに沿った教え方をしている、と言っても、クラスの半数は、外国籍、片方の親が外国人、または外国生まれ外国育ちという背景の生徒で構成されている。歴史、特に複数の国の事情が入り組んでいる近代史をどう教えるのだろうと興味が湧いてきた。

 

そこで、好奇心の赴くままに、歴史の先生にメールをして率直に聞いてみた。彼女からの返事がなかなか面白かったので紹介したいと思う。

 

「私が生徒たちにまず伝えたいのは、歴史は真実ではないということです。歴史=History=Histoireつまり、歴史には多かれ少なかれ物語的要素が含まれると思っています。物語を語るときには個人の主観が入るように、歴史にも個人の主観、解釈が混ざります。例えば、第二次世界大戦で原子爆弾が広島と長崎に投下されたというのは事実ですが、その事実の裏に隠れた理由の解釈は何通りもあると思っています。私は歴史の授業を通じて生徒たちに『なぜこれが起こったのか』を自由に考えるように、と言っています。そしてなぜそう思うのかを自分の言葉で説明することの大切さを学んで欲しいと思っています。ご家庭でもどんどん歴史の話をしてください。」

 

残念なことに、この返信は我々がロンドンに戻ってきてから届いたので、江戸東京博物館には行かずじまい。行けばよかったと後悔した。

 

*ボンファイアナイト 別名 ガイフォークスナイト 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ガイ・フォークス

 

 

 

 

イギリスで働く 解雇されるまでの六十日間 カウントダウン始まり。その弐。

まだ生き残っている。

当たり前だ。娘のハーフターム(秋休み)に合わせて二週間の休みを取っていたのだから。物理的にオフィスにいなかったので解雇しようにも解雇できない。(解雇通知は対面で行うことが原則だから。)

 

ただ、少し気になることがあった。私が休暇から戻るのに合わせて、上司からミーティングが設定されていた。そしてそのミーティングの議題は「1on1 Catch-Up」怪しい。。。月曜日にオフィスに戻る。どうなることやら。

 

話が逸れるが、私の上司は結構な曲者である。イギリス人女性である。彼女の下で働いているというと、大抵の人は「それはご愁傷様」とても言いたげな顔で私を見る。はっきりと「よく彼女と一緒に働けるね。」と言う同僚もいるぐらいだ。というぐらい、彼女の曲者ぶりは知れ渡っているのだが、どれくらい曲者かというと、まず私が彼女と仕事をするようになってからの二年間で既に六人が会社を去った。そして退職の際のエグジットインタビューで躊躇することなく、彼女が原因で退社すると人事に告げている。

 

彼女の問題を一言で表すと、「いじめ」なのだ。無視する。仕事に必要な情報を渡さず部下に失敗させてそれを罵る。社内及びクライアントの要職にある人物とのコミュニケーションを独占しチームメンバーと共有しない。クライアントの前で公然と部下の批判をする、、、と、キリがないのだが、彼女が職場を去ることはない。

 

なぜか。理由は一つではないだろうが、一つ言えることは、彼女はとにかく、社外、社内を問わず要職にある人物との関係構築がうまいのだ。彼女以外の人間がコミュニケーションをとることを許さない、つまり彼女が自在に情報を操ることができるのだから、当たり前だ。ただ、その歪んだコミュニケーション経路について誰も異論を唱えず、また彼女の上司がそれを正そうともしない、これはミステリーとしか言いようがない。

 

漠然と考えているのだが、いつか誰かがちゃんとこの問題に立ち向かわなくてはならない。もしかすると、自分がするべきなのではないか。職場での自分の立場的に考えて、自分が言えば耳を傾けてくれる人はいる。もうこれ以上、悔しい思いをして、または諦めの気持ちで職場を去る人を見たくない。どうせ解雇されるなら、思い切って告発しても良いのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

イギリスで働く 解雇されるまでの六十日間 カウントダウン始まり。

 

イギリスでは日本では考えられないほど簡単に解雇される。解雇と言っても所謂「クビ」とは少し異なる。Redundancyと言って、余剰人員の整理のために行われる。「リストラ」の方が近いかな。私の業界で一般的なのは、所謂仕事そのものが無くなって、社内に空きのポストがない時に起こる。クライアントによって収入が大きく左右されるので仕方がない。

 

会社に迷惑をかけるようなことをしたり、著しく業績が悪かったりしてクビになるのとは少し趣が異なる。

 

今週は、私の元上司、私がとても親しくしている同僚(二人ともイギリス人)、私の元部下(ハンガリー人)がRedundancyの対象になり会社を去って言った。他にもいるらしいが、直接的な関わりがないので誰なのかよくわからない。

 

(ちなみに英語では、I was/got made redundantまたはThey’ve made me redundantと言います。人員整理の対象になっちゃったよ、ということです。)

 

本人にとってはもちろんショックだが、勤続年数に応じたパッケージが出たり、そのパッケージには課税されない(上限あり)という利点があったりするので、「この世の終わり」みたいな感じではない。人によるが、弁護士を雇って少しでも有利なパッケージを、と交渉したり、数週間前から察して早めに就職活動をして、Redundancyを宣告されてパッケージをもらうと同時にちゃっかり新しい仕事を、というケースもある。

 

私の元上司によると、宣告の数週間前からなんとなく察していたという。そしてある日突然、彼の上司から、特に議題のはっきりしないミーティングが設定された。それで、確信したという。彼の読みは正しかった。なんとなく察して、実際に宣告され、そのあとパッケージの交渉をして会社を去るまでは六週間。

 

昨日はその元上司と食事をした。元気付けようと思って食事に誘ったら、一緒に働いていた頃よりもずっと元気そうで、幸せそうだった。もちろん就職活動中。手応えはありそうだ。随分長々と話していたが、そこで確信したことがある。次は私だな、と。

 

数週間前に、上海に異動する話が出た。家族のこともあるし、即答。もちろん断った。そのあとに、会社側が譲歩して、異動でなくて良いので、出張ベースで三ヶ月上海に滞在してほしい、と言われた。いくら子供がボーディングスクールに通っているとはいえ、ほぼ毎週末戻ってくるし、子供が帰ってくる時はロンドンにいたい。しかもクリスマス休暇で十二月になるとすぐに長い休みに入る。さすがに三ヶ月は無謀だと思ってそれも断った。その後からだ、急に上司の私に対する態度が冷たくなってきたのは。そこから、少しずつ、今まで一人で回していたプロジェクトに別の人が関わるようになってきたりしている。

間違いない!元上司に話したら、そういう勘は当たるものだ、と。

ということで、年末年始の休みに入るまでの残り六週間で何かが起こるのではないかと踏んでいる。

 

ということで、ボーディングスクールネタ、ロンドンネタと並行して、解雇されるまでのカウントダウンと称し、少しずつレポートしていきたいと思います。