イギリスのボーディングスクール 親同士の付き合い。

親同士の付き合いが得意か苦手かと聞かれたら、迷わず苦手だと答える私。

 

なぜか。一番の理由は、当たり障りのない会話が苦手だから。何を話していいのか分からない。でも沈黙にも耐えられず、焦って適当に話題を見つける。それでいて、取り繕った話題のくだらなさに自己嫌悪に陥る。

 

そんな私にとって、娘がボーディングスクールに通っているのは都合が良い。なぜなら、親同士の付き合いが極度に限られているから。まず、娘のボーディングハウスに限って言えば、半分以上の親御さんがイギリス国外に住んでいて、滅多に顔を合わせることがない。年に二回か三回。だから久しぶりに会うと懐かしさが手伝ってくれて、それなりに話が弾む。

 

ディスクールの生徒(自宅から通っている生徒)だと、毎日の送り迎えがあるので、しょっちゅう顔をあわせる。挨拶だけというわけにはいかないだろう,

母語でも難しいのに外国語で世間話(Small TalkとかChit Chatと言う)をするのは苦しい。

 

もう一つ、個人的にホッとしているのは、親の参加が求められる行事や会議が極端に少ないことだ。ボーディングの生徒たちのことを考えれば当然だろう。自分の親はいつも学校行事に来ない、というのは子供にとって寂しいことだから。たとえ、イギリス国内、オックスフォード近郊に住んでいたとしても、仕事をしていると学校行事への参加は当然難しい。その辺りは学校側も分かっていて、親の関与は基本的に期待されていないと感じる。

 

私は、すぐに色んなことに罪悪感を感じてしまう性格なので、ちょうどよかったということか。

 

 

 

 

イギリスのボーディングスクール 歴史教育

 

二週間のハーフタームが終わり、お決まりのボンファイアナイト*に参加して娘をボーディングハウスに送り届けた。

 

今年のハーフタームは娘と日本に一時帰国して、秋の味覚を堪能しすぎた。日本に行く前に、娘をどこに連れて行こうかと考えていたのだが、江戸東京博物館に連れて行きたかった。私の好きな博物館の一つでもある。

 

でも結局行かなかった。第二次世界大戦の展示での娘の反応を心配したからだ。

 

ハーフタームが始まって間もない頃、娘とお茶を飲んでいたら、娘が急に「日本は第二次世界大戦で酷いことしたんだね。」と寂しそうに言い出した。どんな会話の流れで大戦の話になったのかは定かではないのだが、ハーフタームの直前の歴史クラスのテーマが第二次世界大戦だった。(イギリスでは、日本のように時系列的に古代から歴史を学ぶということをあまりしない。毎学期ごとにテーマがあって、それを掘り下げて行く。昨年は、ギリシャで始まり、産業革命、第一次世界大戦だった。)

 

「あ、そうか、外国で歴史を学ぶというのはこういうことなのか」というのが私の最初の反応だった。国が異なれば、歴史の教え方が異なるのは当然だ。私は第二次世界大戦を学んだ時は日本にいた。私はラッキーだった。高校の世界史の先生が教科書に書いてないことばかり教えてくれた。受験用の世界史の勉強は勝手に家でやってくれと言われたことを覚えている。

 

娘の学校はイギリスにあってイギリスのカリキュラムに沿った教え方をしている、と言っても、クラスの半数は、外国籍、片方の親が外国人、または外国生まれ外国育ちという背景の生徒で構成されている。歴史、特に複数の国の事情が入り組んでいる近代史をどう教えるのだろうと興味が湧いてきた。

 

そこで、好奇心の赴くままに、歴史の先生にメールをして率直に聞いてみた。彼女からの返事がなかなか面白かったので紹介したいと思う。

 

「私が生徒たちにまず伝えたいのは、歴史は真実ではないということです。歴史=History=Histoireつまり、歴史には多かれ少なかれ物語的要素が含まれると思っています。物語を語るときには個人の主観が入るように、歴史にも個人の主観、解釈が混ざります。例えば、第二次世界大戦で原子爆弾が広島と長崎に投下されたというのは事実ですが、その事実の裏に隠れた理由の解釈は何通りもあると思っています。私は歴史の授業を通じて生徒たちに『なぜこれが起こったのか』を自由に考えるように、と言っています。そしてなぜそう思うのかを自分の言葉で説明することの大切さを学んで欲しいと思っています。ご家庭でもどんどん歴史の話をしてください。」

 

残念なことに、この返信は我々がロンドンに戻ってきてから届いたので、江戸東京博物館には行かずじまい。行けばよかったと後悔した。

 

*ボンファイアナイト 別名 ガイフォークスナイト 

https://ja.wikipedia.org/wiki/ガイ・フォークス

 

 

 

 

イギリスで働く 解雇されるまでの六十日間 カウントダウン始まり。その弐。

まだ生き残っている。

当たり前だ。娘のハーフターム(秋休み)に合わせて二週間の休みを取っていたのだから。物理的にオフィスにいなかったので解雇しようにも解雇できない。(解雇通知は対面で行うことが原則だから。)

 

ただ、少し気になることがあった。私が休暇から戻るのに合わせて、上司からミーティングが設定されていた。そしてそのミーティングの議題は「1on1 Catch-Up」怪しい。。。月曜日にオフィスに戻る。どうなることやら。

 

話が逸れるが、私の上司は結構な曲者である。イギリス人女性である。彼女の下で働いているというと、大抵の人は「それはご愁傷様」とても言いたげな顔で私を見る。はっきりと「よく彼女と一緒に働けるね。」と言う同僚もいるぐらいだ。というぐらい、彼女の曲者ぶりは知れ渡っているのだが、どれくらい曲者かというと、まず私が彼女と仕事をするようになってからの二年間で既に六人が会社を去った。そして退職の際のエグジットインタビューで躊躇することなく、彼女が原因で退社すると人事に告げている。

 

彼女の問題を一言で表すと、「いじめ」なのだ。無視する。仕事に必要な情報を渡さず部下に失敗させてそれを罵る。社内及びクライアントの要職にある人物とのコミュニケーションを独占しチームメンバーと共有しない。クライアントの前で公然と部下の批判をする、、、と、キリがないのだが、彼女が職場を去ることはない。

 

なぜか。理由は一つではないだろうが、一つ言えることは、彼女はとにかく、社外、社内を問わず要職にある人物との関係構築がうまいのだ。彼女以外の人間がコミュニケーションをとることを許さない、つまり彼女が自在に情報を操ることができるのだから、当たり前だ。ただ、その歪んだコミュニケーション経路について誰も異論を唱えず、また彼女の上司がそれを正そうともしない、これはミステリーとしか言いようがない。

 

漠然と考えているのだが、いつか誰かがちゃんとこの問題に立ち向かわなくてはならない。もしかすると、自分がするべきなのではないか。職場での自分の立場的に考えて、自分が言えば耳を傾けてくれる人はいる。もうこれ以上、悔しい思いをして、または諦めの気持ちで職場を去る人を見たくない。どうせ解雇されるなら、思い切って告発しても良いのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

イギリスで働く 解雇されるまでの六十日間 カウントダウン始まり。

 

イギリスでは日本では考えられないほど簡単に解雇される。解雇と言っても所謂「クビ」とは少し異なる。Redundancyと言って、余剰人員の整理のために行われる。「リストラ」の方が近いかな。私の業界で一般的なのは、所謂仕事そのものが無くなって、社内に空きのポストがない時に起こる。クライアントによって収入が大きく左右されるので仕方がない。

 

会社に迷惑をかけるようなことをしたり、著しく業績が悪かったりしてクビになるのとは少し趣が異なる。

 

今週は、私の元上司、私がとても親しくしている同僚(二人ともイギリス人)、私の元部下(ハンガリー人)がRedundancyの対象になり会社を去って言った。他にもいるらしいが、直接的な関わりがないので誰なのかよくわからない。

 

(ちなみに英語では、I was/got made redundantまたはThey’ve made me redundantと言います。人員整理の対象になっちゃったよ、ということです。)

 

本人にとってはもちろんショックだが、勤続年数に応じたパッケージが出たり、そのパッケージには課税されない(上限あり)という利点があったりするので、「この世の終わり」みたいな感じではない。人によるが、弁護士を雇って少しでも有利なパッケージを、と交渉したり、数週間前から察して早めに就職活動をして、Redundancyを宣告されてパッケージをもらうと同時にちゃっかり新しい仕事を、というケースもある。

 

私の元上司によると、宣告の数週間前からなんとなく察していたという。そしてある日突然、彼の上司から、特に議題のはっきりしないミーティングが設定された。それで、確信したという。彼の読みは正しかった。なんとなく察して、実際に宣告され、そのあとパッケージの交渉をして会社を去るまでは六週間。

 

昨日はその元上司と食事をした。元気付けようと思って食事に誘ったら、一緒に働いていた頃よりもずっと元気そうで、幸せそうだった。もちろん就職活動中。手応えはありそうだ。随分長々と話していたが、そこで確信したことがある。次は私だな、と。

 

数週間前に、上海に異動する話が出た。家族のこともあるし、即答。もちろん断った。そのあとに、会社側が譲歩して、異動でなくて良いので、出張ベースで三ヶ月上海に滞在してほしい、と言われた。いくら子供がボーディングスクールに通っているとはいえ、ほぼ毎週末戻ってくるし、子供が帰ってくる時はロンドンにいたい。しかもクリスマス休暇で十二月になるとすぐに長い休みに入る。さすがに三ヶ月は無謀だと思ってそれも断った。その後からだ、急に上司の私に対する態度が冷たくなってきたのは。そこから、少しずつ、今まで一人で回していたプロジェクトに別の人が関わるようになってきたりしている。

間違いない!元上司に話したら、そういう勘は当たるものだ、と。

ということで、年末年始の休みに入るまでの残り六週間で何かが起こるのではないかと踏んでいる。

 

ということで、ボーディングスクールネタ、ロンドンネタと並行して、解雇されるまでのカウントダウンと称し、少しずつレポートしていきたいと思います。

 

 

 

 

 

いらいらしてからじわじわくる "Harmless Like You"

近所の本屋さんで見つけてタイトルに惹かれて書いました。ジャケ買いでも、書評買いでもなく、タイトル書い。

自分と少しだけ境遇の似ている女性の話。外国で日本人として育ち、国際結婚して所謂ハーフの子供がいて、、というところだけですが。

彼女、結婚をして出産した後で、ある日突然、出て行ってしまうのです。全てを捨てて出て行きたくなる気持ち、私にはすごくわかります。ただ、私にはできない。臆病なので、すぐに家族とか仕事とかのことが頭に浮かんでしまう。

私は人生の三分の一を日本の外で過ごしています。時々、ふと、いま日本に戻ったら私の人生はどう変わるのだろう、とか、いま、仕事を辞めたら、私はどうなるのだろう、とか考えるのですが、そういうことって考えるだけで結構楽しい。

主人公の彼女には一人息子がいて、彼の葛藤がまた興味深い。私の娘も同じようなことを考える日が来るのだろうか、と想像するのも楽しかった。

著者もこれまた名前から分かるように「ハーフ」の女性なのです。彼女がどんなことを考えながらこの本を書き上げたのか、と想像するのも楽しかった。

英語もスラングは結構出てきますが、難解ではありません。

さあ、次は何読もう。

 

f:id:twistedtongue:20171020222432j:plain

カズオイシグロのノーベル文学賞受賞で思ったこと。

私の大好きな作家であるカズオイシグロがノーベル文学賞を受賞した。初めて彼の作品に接して(日の名残り)からというものずっと彼のファンなのですごく嬉しい。

 

おめでとうございます。

 

職場にも彼のファンは沢山いて、受賞のニュースを聞いて、カズオイシグロの話でしばらく盛り上がっていた。

 

帰宅してから、受賞関連の記事を色々と斜め読みしていて気づいたことがある。

 

日本のメディアは、あの手この手で、カズオイシグロと日本の関連性を強調したがっていた。一部のメディアでは彼を日本人だと紹介していた。間違いだ。

 

カズオイシグロは英国人だ。日本人の両親のもと日本で日本人として生まれたけれど、今は英国人だ。二重国籍でさえ無い。

 

彼は英語で小説を書いているし、彼の英語は完全なイギリス英語だ。

 

日本風の名前を持っていて、日本人風の容貌だからと、日本人だと決めつけるのは、もしかしたら日本が単一民族国家だからかもしれない。肌や目の色が違う人を見た瞬間に、外国人だと決めつけるのも同じ理由だろう。

 

イギリスには、ヒンズー語の名前、アラビア語の名前、中国語の名前、ヘブライ語の名前、色々な言語の名前がある。肌の色、目の色、体格も色々。でも、イギリス人だ。

 

イギリスに住むようになって気づいたことがある。初対面で、「どこの国の出身か」を聞かれることが全く無いのだ。ひととおり自己紹介を終えて、世間話をしてしばらく経ってから、(おそらくだが)私の英語のアクセントに気づいて、どこから来たのか聞かれる。

日本だったらどうだろうか、「日本人ぽくない顔」を見た瞬間に、「何ジンか」と質問される。

 

相手が日本人ではないと確認した瞬間から、まるで、その人との関係性が定義づけされてしまうようだ。

 

国籍をネタに話が盛り上がることもよくあるので一概に否定することはしないが、人との付き合いは、国籍という「ラベル」とは関係ないところ、個人対個人のレベルでするから、面白くなるのだと思う。

 

その人が何が好きで、何が得意で、どんな考えを持っているか、ということを「ラベル」を貼らずに掘り下げて言ったほうが楽しいと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

イギリスのボーディングスクール 「いじめ」はあるか

映画や小説に登場するボーディングスクールのイメージが影響しているかもしれません。娘がボーディングスクールに通っている、と言うと聞かれます。

「いじめとかスゴそうね。」

 

ボーディングスクール、デイスクールに限らず、「いじめ (Bully)」はイギリスの社会問題の一つです。いじめが原因で自ら命を絶ってしまった子供のニュースも耳にします。そして、イギリスの学校のウェブサイトに行くと、例外なく、その学校の「いじめ対策」が詳しく説明されています。どの学校も共通して「いじめは許さない」と言う毅然とした姿勢で。まあ、これはイギリスの学校でも日本の学校でも同じですよね。

 

個人的な意見ですが、いじめは、いつでも、どこでも起こりうると思います。(話は逸れますが、大人の世界でもいじめはあります。イギリスの職場で私が目撃したいじめは壮絶でした。これは、また別の機会に。)

  

我が家の娘も経験しました。

 

少し前になりますが、イースターの休みが終わろうとしていたある日、いきなり娘から打ち明けられました。「仲間外れにされていて寂しい。学校に戻るのが楽しみでない。」

 

「うわー、娘からの告白がこんな形で来るとは。」

驚いたと同時に、信頼していた学校なのにな、と少しがっかりしました。

 

娘に動揺を悟られないように、5W1H的な質問を重ねているうちに、言葉少なに語り出した娘。最後は泣き出してしまいました。

 

私も中学時代にいじめられた経験があります。でも三十年前の経験なんて、娘を前にしてなんの説得力もない、自分の無力さを感じました。

 

娘が一通り話し終えたところで、「ママとパパにどうしてほしい?クラスの先生に話してほしい?それともボーディングハウスのハウスペアレンツに話そうか」と聞きました。内心「嫌だと言うだろうな」と思っていました。私だったらまず、いじめが発覚した後の仕返しを恐れます。娘が嫌だと言っても、学校にメールした方が良いかな、とも考えていました。

 

しばらく考えていた娘は、「まず自分で先生に話してみる。」と。正直驚きでした。だって、意地悪な見方をしたら、告げ口です。チクったと言われかねません。悪化するリスクを孕んでいます。たとえ純粋に助けを求めただけだとしても。

 

でも、娘が自分の意思で決めたこと、と静かに見守ることにしました。

もちろん、内心穏やかではなかったです。

 

その夜は娘の寝顔を見ながら、まさか自分の娘がいじめられるようなことになるとは、、、私の育て方に問題があったのだろうか、グルグル考えていました。(娘に何かあるたびに自分に原因があるのでは、と思うのは私の癖です。)

 

イースター休暇が終わり、娘を学校に送り届ける時の会話は、

 

「本当に大丈夫?」

「うん。」

「先生と話したら教えてね。」

「うん。」

 

二日経っても、娘からの連絡はありません。

三日後、娘に電話をかけたついでに聞きました。

「先生と話した?」

「うん。」

「それで?」

「もう、大丈夫。」

「もう仲間外れにされてないの?」

「うん。友達は彼女だけじゃないし。」

 

拍子抜けしました。一瞬「本当に大丈夫かな」とも思いましたが、

娘の声の調子は、心配しなくてよい、と確信させるものだったので、質問責めにするのもどうかと思い、そのままに。

どうやら一件落着のようです。

 

この件を通じて良かったなと思ったことが三つありました。

 

問題に直面した娘は自分から先生に助けを求めた。後で「仕返し」に会うことを心配せずに。

 

先生に助けを求めた後に、すぐに問題が解決された。そして、それがぶり返すことが(今の所、半年以上経っても)ない。

 

その後、「仲間外れのリーダー的な女の子」とは普通に接している。新しい学年になって別々のクラスになったとはいえ、ボーディングハウスではいつも一緒、どうやっているのか詳細はわからないが、普通に学校生活を楽しんでいる様子。

 

先生からの連絡も無し。

 

正直、娘の先生がどのような話を娘たちにしたのかはわかりません。どんなマジック(私にとってはマジックとしか思えない)を使って問題を解決したのかもわかりません。

 

ただ、今回の経験を通して、娘の通う学校を今まで以上に信頼するようになりました。少しでも疑った自分を恥ずかしいとも思いました。

 

上にも書きましたが、いじめはどこでもいつでも起こりうる。大切なのはいじめのサインを目撃したら、または、自分がいじめられていると感じたら、深刻化する前にすぐに先生の助けを求められるような環境づくりなんだと思いました。

そして、先生たちはプロ。仕返しを助長するような方法で解決することはしないし、いじめが解決された後にも、普通の生活を送るように配慮してくれます。

学校というコミュニティにとって、親の役割はとても重要であることは間違い無いのですが、親はあくまでも、外から見守る存在、必要な時(求められた時)に惜しみなく手を差し伸べる存在でいた方が良いな、と思った経験でした。